映画批評「オードリー・ペプバーン」

ニートの独断と偏見による評価

2.5 out of 5 stars (2.5 / 5) 評価するなら、こんな点数になってしまう。

オードリー・ペプバーンの人生

 1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルで生まれる。

 オードリーが10歳になる前に、両親が離婚し父親が家を出ていった。その後、母の故郷オランダに移動する。

 オランダではアルンヘム音楽・学院でバレエを習い始めバレリーナを夢見ていた。

 1940年5月、ナチスがアルンヘムを占領し、オードリーの家族は処刑されるか強制労働させれた。そして、戦火が激しくなり物資が届かなくなると、他の多くの子供たち同様に栄養失調になる。

 終戦後、アンラ(ユニセフ)が立ち上がり、弱ったオードリーにもチョコレートが支給されたことで救われた。

 20歳になる前からバレエを足掛かりに、数多くの端役かた映画や舞台に出演し始めた。無体初演はミュージカル「ジジ」。そして「ローマの休日」に繋がったのだ。彼女の多彩な人生からくる演技を多くの人を共感させ、一躍スターの仲間入りを果たしました。

 その後、仕事では数々の作品に主演し、実生活では結婚して子供を授かった。順風満帆に見えたが、10年以上一緒にいた夫とは離婚してしまう。子どものためを思って、離婚せずに頑張っていたが結果及ばなかったのだ。

 そして1967年~は家族との時間を優先し、表舞台での出演は消極的になる。

 1988年、ユニセフの親善大使に抜擢される。そこで、各地を巡り、飢餓に悩まされる子供たちの姿に心を痛めた。目立つことを避けていたが、貧困に苦しむ子供たちのために、女優として知名度を利用することにしたのだ。

 ユニセフは、ヘプバーンが親善大使を務めてから僅か5年で倍の規模へと成長している。

 1993年1月20日、家族に見守られながら自宅にて往生した。

スタジオ・キャスト

映画スタジオ

配給:STAR CHANNEL MOVIES

協力:日本ユニセフ協会

監督

  • ヘコナ・コーン

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